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中小企業海外展開事例集 THE STORIESに掲載されました。

中小企業海外展開事例集 THE STORIES
いくらまで失敗していいか、考えて出る

インドネシア工場の立ち上げでは、JETROの専門家派遣(支援)制度を徹底的に活用しました。アドバイザーは、たまたま(弊社と同じ)浜松出身の小野さん。工場を借り・値切り・契約し・人を募集し…などなど、ありとあらゆる相談をお願いした覚えがあります。

最初の現地社員をどのように採用するかは難問でしたが、募集をどこに、どんな内容で出せばよいか細かくアドバイスして頂き、最初の面接では同席までして頂きました。初めての海外進出で、良いアドバイザーに出会えたのは本当に幸運だったと思います。

弊社はウレタンフォームなど、発泡プラスチック素材の企画メーカーです。自社で素材を製造している訳ではなく、お客様のニーズに合わせて調達/加工するのが弊社の強み。同じ業態の企業はまだインドネシアにはありません。

現地で原材料を調達できれば理想ですが、品質面と技術流用の問題から、今は全て日本から輸入しています。

中小企業が苦手なのは、経営計画の作成です。ですが海外進出の助成を受けるには、徹底して自社の強み・弱みを客観視した戦略立案が求められます。国内案件と違い、海外進出は”社長の腹ひとつ”じゃ決められません。

ですのでぜひ、外部の専門家のアドバイスを積極的に利用すべきと思います。最終的に「いくらまでなら損していい」と知っておくこと。冷静な判断ができれば実現は近づきます。

日経新聞(2016年10月29日号)に掲載されました。

インドネシアに新工場 ~工業用ゴム生産 日系車メーカーなど開拓~

発泡樹脂メーカーのソフトプレン工業(浜松市)はインドネシアに新たに工場を立ち上げる。車やエアコンの防振材などに用いる工業用の「ブチルゴム」について、自社での製造を始める。新工場では需要が伸びる自動車向けを中心に多様な用途のブチルゴム製品の開発も進める方針。日経企業の製造拠点が集まるインドネシアで需要開拓し、現在3億円のブチルゴム関連の売上を5年で2倍に高める。

インドネシア・ジャカルタ近郊、ブカシ県の工業団地にある同社の第1工場近くに、延べ床面積1500平方メートルの工場を新たに借りた。これまで中国メーカーに委託生産してきたブチルゴムを、新設する第2工場で自社生産する。投資金額は5000万円。12月から稼動し、全量生産する2017年夏ごろまでに25人を現地採用する。

ブチルゴムは比重が重く耐水性や耐寒性にも優れるためm自動車やエアコン、冷蔵庫などの振動防止や遮音材として広く使われる。

これまでは中国から仕入れたブチルゴムを日本の工場で加工して、国内のエアコンメーカーに販売してきた。インドネシアの第2工場では現地の自動車部品向けを軸にブチルゴム製品を製造する予定だ。

インドネシアで製造拠点を拡充するのは、日本の自動車メーカーなどの製造拠点の集積が進んでいるからだ。現在年間3億円のブチルゴムの売り上げを5年後に6億円に増やす。

同じプチルゴムでも用途によって求められる性質が異なる。自社生産で原料の配合を自由に調整できるようになるため、将来的には自動車部品のほか住宅資材など多様な分野向けの製品開発も進めたい考え。

富士経済(東京・中央)の予測によると、18年の世界のブチルゴム市場は5361億円。13年から5年で571億円の成長を見込む。数量ベースでみると市場の4分の3を自動車向けが占めており、現状エアコン向けのみのソフトプレン工業にとっては大きな伸びしろが期待できる。

ソフトプレン工業は1960年設立。ヤマハやローランドのピアノに組み込む防音材や二輪車向けの吸音材といった発泡樹脂素材の部品加工が売り上げの多くを占める。同社は県内を中心に国内3ヵ所に工場を持ち、2015年にインドネシアに進出した。16年6月期の売上高は18億円。

日経新聞 2016年11月29日号

日経新聞(2014年12月13日号)に掲載されました。

インドネシアに工場 ~発泡樹脂部品、日系に供給~

発泡樹脂メーカーのソフトプレン工業(浜松市)は海外生産に乗り出す。来年6月にもインドネシアに工場を稼動させ、現地の日系メーカーに密封や防音、防振用の樹脂部品を供給する。四輪車、二輪車の関連部品や電機メーカーの進出が相次いでおり、需要が伸びると判断した。3年後にはインドネシアだけで、国内の3割に当たる5億円の売上高を目指す。

ジャヤルタ近郊のブカシ県の工業団地にある延べ床面積1500平方メートルの工場を借り受けた。機械購入なども含めた初期投資額は約1億円。来年1月末には現地法人も設立する。当初の従業員は日本から派遣する2人を含む5人。事業の拡大に伴い3年後には50人程度まで増やす。

発泡樹脂部品は部品同士の隙間を埋めたり、防音、防振性を高めたり、商品を梱包したりと多様な用途がある。インドネシアでも国内工場を同様に、少量多品種の生産体制を整える。

原料となるウレタン、ゴム、ポリエチレンなどの樹脂を発泡させたスポンジの塊は国内外から調達する。

インドネシアの新工場では一定の厚さにスライスした後、接着テープを張り合わせ、型を使ってプレス機でくりぬくなどして部品を作る。国内では不要な切れ端を取り除く手作業の後工程を外部に委託しているが、インドネシアでは内製化する。

同国には競合企業も多いが、今度輸送機器や電機の生産が伸び、発泡樹脂部品の需要がさらに高まるとみて進出を決めた。

現地でも営業活動を展開し、県内を中心とした既存の取引先に加え、新規顧客の獲得をめざす。順調に事業が拡大すれば自社工場の建設も視野に入れる。

同社はリーマン・ショック直後に受注が低迷したものの、国内経済の復調や積極的な営業活動が功を奏し、2014年6月期の売上高は17億円と前の期に比べて1割伸びた。一段の成長機会を求め、新興国でも現地生産に乗り出す。

日経新聞 2014年12月13日号

浜松商工会議所報ニューイング(2012年4月1日号)に掲載されました。

ニューイング 2012年4月1日号
再生ウレタンフォーム商品化で大きく飛躍

 「当社のルーツは、父・文雄が戦後すぐに中区常盤町で起業した繊維商社。しかし、経営に失敗して会社は倒産、常盤町の土地も手放しました。その後、父は捲土重来を図り、昭和30年(1955年)にベルテックス工業株式会社(後にソフトプレン株式会社に社名変更)を設立。昭和35年(1960年)にソフトプレン工業を設立し、現在に至っています。ベルテックス工業は前の会社と同じ土地で創業したため、『俺は常盤町の土地を二度買った』というのが父の口癖なんです(笑)」。ソフトプレン工業の二代目社長、前嶋文明氏はこのように創業の経緯を語る。

 ソフトプレン工業の出発点は、文雄氏が考案した「高周波植毛(ベルテックス加工)」という独自の技術だった。この技術は、長さ1ミリ以下にカットした繊維を静電気で飛ばし、接着剤を塗った板に繊維が直立して着くようにして、ベルベットのような起毛繊維を作り上げるもの。これによって、学校の校章や野球ユニフォームの背番号などの立体的マークを安価に製作することが可能になった。

 「この技術のベースは、父が北海道でひらめいた”人造マリモ”という製品です。昔、北海道では天然記念物のマリモがひそかに土産物として売られていたんですが、父はそれを見て『そんな違法なことをするよりも、人造のマリモを作ればいいのではないか』と考えました。そこで、先ほどの高周波植毛のアイデアを思い付き、木の球に緑の短繊維を植え付けて人造マリモを開発したのです。当時、この人造マリモは北海道土産として大きな評判を呼び、それによって新会社のための資金つくりができたと聞いています」

 文雄氏の優れた発想力はそれだけにとどまらない。ベルテックス工業の設立後、文雄氏は名古屋のウレタンフォームメーカーから、ウレタン廃材(切りくず)を再利用するためのアイデアを求められた。文雄氏は初めてウレタンフォームを見て、「切りくずを接着すれば、再生ウレタンフォームができるのではないか」と考えたのだ。

 この再生ウレタンフォームは、現在の会社名の由来である「ソフトプレン」の商品名で販売され、ピアノ用椅子のクッション材や自動車の立体シート向けなどに幅広く採用されていった。「再生ウレタンフォームは、チップフォームの名称で、現在も当社の主力商品になっています」と文明社長は語る。

新しい種まきをしつつ次世代への承継図る

 その後、高度経済成長の波に乗って会社は急速に業容を拡大。文明氏は昭和49年(1974年)、大学を出てすぐにベルテックス工業(当時)に入社した。「子供の頃から父のサクセスストーリーを聞かされ、長男の自分は父の会社に就職して、将来は社長になるんだと思い込んでいました。」

 そうした人生の設計図に則り、文明氏は昭和57年(1982年)に専務就任、平成6年(1994年)に42歳で社長に就任した。父の文雄氏が70歳を越え、「もうそろそろ、いいんじゃないか」と判断してのことだった。「父は社長の座を譲った後も、5~10年は私の成長を見届けたいと考え、年齢的にぎりぎりのタイミングで交代を決めたのだと思います。もtっとも、父は92歳になる今も健在で、グループの総帥として君臨しているわけですが(笑)」。

 そうした一方で、文雄氏は次男・隆文氏、三男・映雄氏に数年間、よその会社で経験を積ませた後、隆文氏を自社の専務、映雄氏を同じく常務に据えた。兄弟3人による「3本の矢」の戦略により、会社の基盤を強くしようと考えたわけだ。また、関連会社であるソフトプレン株式会社の社長に隆文氏、株式会社ソフテックの社長に映雄氏がそれぞれ就任。企業を永続させ、同時にファミリーの結束を強めるという見事な承継戦略といえるだろう。

 「このような承継戦略に基づいて、私たち兄弟もそろそろ”次のバトンタッチ”を考えるべき時期に来ています。すでに、私の息子二人はソフトプレン工業に入社。また私の弟たちも、それぞれの子供を自分たちが経営する会社に入社させています。私も今年で61歳になりますので、父と同様、70歳ぐらいを目安にバトンタッチするのが目標。そのために、後10年くらいは頑張ろうと思っているんです」(文明氏)。

 ただ、文明氏が入社した昭和49年頃と現在とでは、会社を取り巻く経済環境が大きく異なる。昭和49年は第1次オイルショックの直後だか、素材関連企業である同社の売上は大きく伸びた。材料不足の懸念から、当時トイレットペーパーが売り切れたのと同様に、同社の製品もユーザーから「あるだけくれ」と言われる状況だったという。

 これに対し現在は、震災の影響、欧州の金融危機、円高による輸出産業の苦戦などの悪材料が多い。企業にとって、5年後、10年後のビジョンを描きにくい状況が続いているが、「それでも工夫次第で成長の余地はある」と文明氏は強調する。

 「当社は数年前から独自の技術を活かした産学連携に取り組んでいます。例えば、中小企業基盤整備機構の新連携の補助金により、静岡大学、浜松医科大学と共同で医療用ウォーターベッドを事業化したのがその一例。また個人の体型に合わせて最適な体圧分散性能をもつマットレスを、コンピューターシミュレーションによりオーダーメイドで作る技術にも力を入れています。今後はこうした種まきをしながら、会社経営のノウハウを次世代に伝えていきたい」と、企業の存続に向けた長期展望を描いている。

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